お正月にやって来る年神様の正体は、ご先祖様だった

お正月と年神さま

【年神さまってどんな神さま?】

年が明けると、「あけましておめでとう」と挨拶をします。でもなぜ、おめでたいのでしょう? それは、新たな年を迎えるから。

では、新たな年を迎えるというのはどういうことかといえば、これは年神さま(年徳神などとも呼ばれます)をお迎えするということであって、だから、おめでたいのです。

でも年神さまって、いったいどんな神さまなのでしょうか。お正月以外では聞かないけれど、いったい普段はどこで何をしているのか、考えてみれば不思議です。

神さまなら、神社だろうと思って探してみますと、確かに「大歳神社(おおとしじんじゃ)」などで年神さまを祀っている例が見られます。

では、全国の年神さまはそこからやって来るのかというと、決してそういうわけではないのです。

私たちのところにやって来る年神さまというのは、暮らしの中で伝えられてきた神さまです。

神さまというのは、必ずしも神社で祀られているわけではなくて、いわば、「民間信仰」の中で伝えられてきたものがたくさんあるのです。

こうした神さまは、長い歴史の中でいろいろな要素が入り混じって、身近だけれど正体がよくわからなくなっています。

ですから、年神さまの正体も謎につつまれている部分が多いのですが、少しずつ解きほぐしてみることにしましょう。

日本人が考えてきた典型的な神さまというのは、一言でいえば「ご先祖さま」です。ご先祖さまと言うと、仏教的なにおいがしますが、これは仏教が死者の祭祀に強い影響力を持っていたからです。

日本人の古くからの考え方では、人間は亡くなってから33年などの一定期間を過ぎると、先祖の仲間入りをするとされています。

では、そのご先祖さまはどこにいるのでしょう。

決して天の彼方に行ってしまうのではなく、生まれ住んだ地域の山に上って、山の上から子孫の暮らしを眺めている、そんな存在であったようです。

これを民俗学の用語では「祖霊神(それいしん)」と呼び、その信仰を「祖霊信仰」と称します。

もちろん、実際に伝えている人々がそんな名前で呼んでいたわけではありません。

そして春になると、山からこの神さまを里に迎え、子孫たちの行う米作りを見守ってもらいます。

そうなると、この神さまは「田の神」と呼ばれるわけですね。そして秋の収穫を終えると、また山に送ります。山にいれば、今度は「山の神」と呼ばれるわけです。

このように、春と秋に神さまが行ったり来たりする、これが祖霊信仰の典型的なパターンだといえましょう。

石川県の奥能登地方には、12月5日に田の神を家に迎えて、あたかも目の前に神さまがいるかのようにご馳走を勧めたりお風呂を勧めたりする「アエノコト」という行事もあります。

山に送るのとは少し異なりますが、12月に家に迎えて、2月に再びもてなして送り出すのです。

さて、前置きが長くなりましたが、この祖霊神こそ年神さまの本来の姿なのです。

 

といっても、秋になって山の神となった祖霊神が正月には年神さまに変身するという言い伝えがあるわけではありません。

それぞれの神さまは、あくまで別々に伝えられているのですが、年神さまのさまざまな事例を見ていきますと、これもまた田の神同様に、近くの山から迎えてくる祖霊神だということになるのです。

 

わかりやすい例を挙げれば、「門松」でしょう。今では買ってくることが多くなりましたが、本来は近くの山に行って採ってくる「松迎え」をします。

門松というのは、神さまがそこに依りつくための「依り代」ですから、それを山から採ってくるということは、つまりは神さまを山からお迎えするということになります。

そして年神さまを迎える場所には、「しめ縄」を張って聖なる空間を作ります。

このしめ縄は、秋に収穫された稲の藁(わら)で作ります。

田の神に見守られて育った稲には、「稲魂(いなだま)」という霊魂が込められていると考えられていました。

その稲藁で作るからこそ、聖なる空間を作り出すことができるとも言えましょう。

またこの稲魂が込められた食べ物が「餅」。特に、丸くして積み重ねた「鏡餅」は、心臓の形、つまりは霊魂をシンボル化したものと考えられています。

霊力がこもった餅だからこそ、神さまにお供えし、そしてそれを人間が食べることによって、新たな力が授けられるというわけなのです。

こんなふうに、さまざまな風習を通して年神さまを感じることができますが、地方によってはもっと直接的に年神さまを迎えているところもあります。

例えば、兵庫県の淡路島では「ヤマドッサン」という神さまを迎えます。ヤマドッサンとは「山年神」という意味でしょうから、まさに山からやってくる年神さま。

もちろん目には見えませんが、鍬(くわ)と簑笠(みのかさ)を出しておくと、そこに宿ると言われます。それで鍬の前に、供え物をいろいろと並べてヤマドッサンをもてなします。目に見えない神さまをもてなすやり方は、さきほど挙げた奥能登のアエノコトにも似ています。

【お正月は家の祭り】

やってくる神さまをおもてなしすることは、なにもヤマドッサンやアエノコトのような特別なお祭りばかりではありません。私たちの家でも、お正月になるとさまざまな方法で年神さまをもてなします。

これは、一種の「祭り」と考えていいでしょう。祭りといっても、神社や地域で行う大きな祭ではなくて、家の中の祭りです。

年中行事は「家の祭り」なのですね。その家の祭りのなかでも、最も大きいのが正月なのです。

そして家の祭りで最も大切なのが、食物。神さまに供え、そしてそれを神さまとともに家族が食べることによって、神さまの力にあやかることができるというわけです。

現在でこそ、いつでもご馳走を食べることができますが、かつては特別な食べ物は、特別な日にしか食べることができませんでした。餅などは、まさにその典型。

餅が霊力をもっていることは、既に述べた通りです。お正月にはその餅を、例えば「雑煮」にして食べます。

雑煮というのは、もともと茶会席などの晴れの食事を指していましたが、餅と結びついて正月に特化されてきました。

神に供え、稲の霊力を宿した食べ物を、神と人とが共に食するというのが、雑煮を食べる大切な意味となるのです。

ただ、一口に雑煮といっても日本は広いので、地域によってさまざまなバリエーションがあります。

餅だけとってみても、関東の切り餅、関西の丸餅の違いがあり、焼き餅か煮餅かでも異なります。

さらに調理が、東日本ではすまし汁、関西で味噌仕立て、山陰で小豆汁、中国・四国・九州でまたすまし汁といった傾向に分かれます。

さらに興味深いのは、「餅なし正月」があること。これは読んで字の如く、正月に餅を食べないという決まりがある家や地区のことです。

なぜ食べないかというと、かつて貧しくて餅が食べられなかったからだとか、訪れた貴人が餅を欲しがったのに振る舞わなかったことを悔いてだとか、理由はさまざまです。

でももう少し突っ込んでとらえてみると、日本には餅の代わりに、山芋や里芋を食べたりする風習も見られるのです。

これはかつて日本が稲作文化だけではなく、芋を中心とした畑作文化があったことの名残ではないかとも考えられています。

日本の年中行事は、基本的に稲作文化にあわせて作られていますが、もしかしたらそれにあてはまらない文化までもが複合しているのかもしれません。

 

そして正月の儀礼食でもう一つ大切なのが「おせち料理」。「おせち」の「せち」とは「節」のこと。「節供」の節ですね。

ですからもともと節供のような年中行事で食べる料理という意味だったわけですが、徐々にお正月の料理に限定されていきました。

ですから、雑煮もおせち料理と言っていいわけですが、一般には重箱などに詰めたおめでたい料理を指します。

このおせち料理、今ではもちろん年が明けてから食べますが、もともとは大晦日の夜から食べていたようです。昔の暮らしでは、一日が終わるのは日没だったのですね。

日が沈めば一日が終わり、そして翌日がやってくる。だから、大晦日の夜は「年取り」であって、「年取り膳」などを食べて祝ったのです。

今でも東北地方などでこの年取り膳の風習が残っていますが、一般的には「年越しそば」になってしまいました。

でも大晦日に限って夜に食べたり、夜遅くまで起きているのは、もともと年神さまを迎えて祀る、大切な祭りが始まっていたからなのです。

また、「満」年齢が普及する以前の「数え」年齢では、誰もが新年を迎えると同時に一歳ずつ年をとりました。これもまた、お正月の重要な意味でした。

それから、お正月に親戚などが集まって飲んだり食べたりすることを「セチ」と呼ぶ所もあります。神さまだけではなく、人間同士のコミュニケーションの役割も果たしていた訳ですね。

そしてこのおせち料理も、時代や階級、そして地域によってさまざまな種類が生まれました。

現在一般的なのは重箱に詰めるタイプですが、むしろ一人一人のお膳だったり、大皿に盛ったりする方が、かつては多かったようです。

中身も地域によって様々でしたが、比較的に共通してみられるのは、「煮しめ」だと言われます。

【お正月を祝おう!】

さて、ここまで年神さまについて見てきましたが、なんとなく判ったような、判らないような…。

でも、それでも構わないのです。

大切なのは、お正月には門松や鏡餅を飾ったり、

家族そろってお雑煮やおせち料理を食べたり、初詣に行ったり書き初めをしたり、

凧あげや羽根つきをしたり、

そんなわが家ならではの正月をしてみることです。

そして時には、その背景に長い歴史の中で育まれてきた豊かな文化が息づいていることを思い出していただけたら、と思います。

お正月には一般的な年神さまの他に、どこからともなくやって来る不思議な神さまたちもいます。こうした神さまを迎えるのは、家というよりも地域(村)。

年に一度、その地域を訪れて人々に幸せをもたらす、そんな神さまのことを、民俗学では「まれびと神」とか「来訪神」と呼んでいます。

その代表的なものが、秋田のナマハゲ。「悪い子はいねがー」と叫びつつやってくる鬼のような存在で、地元でもその由来については様々な言い方をしていますが、本質的な部分では神さまなのです。

ナマハゲのような来訪神は、秋田だけでなく、北日本日本海側には数多く分布しています。

さらには鹿児島県の甑島(こしきじま)で大晦日の夜に訪れるのは、その名も「トシドン」。

年神さまだと考えられます。やることはナマハゲと一緒で、子どもたちを脅して回るのですが、最後に「年餅」をくれるのです。

餅には霊魂が込められていますから、年餅とは「年霊(トシダマ)」だと。これはトシダマと呼ぶわけです。

いまでこそお年玉はお金ですが、もともとは年神さまが人間に分け与えてくれる霊力だったわけですね。

こうした神々が訪れる行事が、大晦日から正月、そして小正月や節分などに各地で行われます。

新たな年に神さまを迎えて祭りをすることは、なにも元日だけではないのです。かつての日本人はもっと長いスパンで考えていたのですね。

特に1月15日の小正月は、その前夜を年越しと言って、もう一度年越しをおこなう大切な日でした。

どんど焼き」などを始め、村でおこなうお正月行事は、三が日の正月よりもむしろ小正月に多かったと言えるでしょう。

ナマハゲも、戦前は小正月が中心でしたし、他の来訪神も小正月に多く登場します。

このように全国で様々な行事が行われてきた小正月ですが、近年15日の「成人の日」が移動休日になったために、多くの行事が廃れつつあるというのが現状のようです。

久保田 裕道(くぼた ひろみち)

1966年千葉県生まれ。博士(文学)。民俗学者國學院大學兼任講師。東村山ふるさと歴史館学芸員。民俗芸能学会理事。儀礼文化学会幹事。 主な著書に「神楽の芸能民俗的研究」(おうふう)、「『日本の神さま』おもしろ小事典」(PHPエディターズグループ)、共著に「心を育てる子ども歳時記12か月」(講談社)、「ひなちゃんの歳時記」(産経新聞社)など。

 

https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/iware/kamisama_01.html