古代メソポタミア文明とインダス文明との交易を証明する数々の印章たち

インダス文明と共通する図柄の円筒形印章②

  • 東海大学文学部、小磯 学 教授の論文を転載させていただきます。

http://jswaa.org/wp/wp-content/themes/jswaa/pdf/jwaa/06/JWAA_06_2005_067-086.pdf

 

 メソポタミア地方南部やイラン高原シスターン地方、
さらにはインダス文明内からも出土する。
印面が広く、複数の動物や樹木など動きのある場面が表現される。
以下の分類を試みた。

 

形態の類別

  I類=円筒形印章。上下面が平坦な円筒形で側面を印
     面とする。
軸方向に穿孔、あるいは上下面に刺突か
図柄・文字を記す場合がある。
上下面の文字はスタンプ型印章として用いた可能性もあろう。

  II類=円筒形印章で、上端に穿孔のある鈕をもつ。
円筒側面と下面に図柄・文字を記しスタンプ型印
     章の機能も合わせ持つと考えられる。


図柄の類別

A 類:上半部に複数のインダス文字
下半部に動物を 記しインダス型印章のコピーといえる構図。ただし動物は2頭。

B 類:動物・樹木・人物などを記す。
隙間にインダス 文字を1、2文字記す場合がある。

B 1類-動物のみ。インダスと共通する動物ほか数頭。

B 2類-動物と樹木のみ。サカナをモチーフにした インダス文字を 1 文字記す場合がある。

B 3類-動物と樹木と人物。人物には「動物の下半 身が合体した有角の人物」を含む。

B 4類-上下 2 段に区画された印面に動物・樹木・ 人物(「角神」を含む)を記す。

C 類:インダス文字のみを記す。

C 1類-複数の文字を印面に水平に記す。

C 2類-複数の文字を印面に縦方向に記す。

D 類:斜格子文のみを記す。

1.メソポタミア地方南部(図 13 -1~5、表6) ウルのほか内陸 500km のテル・スレイマー(Tell Suleimeh)など広域から計5点発見された(一部出土地 不明)。
一角獣、コブウシ、ゾウ、サイ、ワニ、短角のウシなどインダスと共通する動物や、
インダスの護符(土製 小板、タブレット)に登場するトリやヘビ、サカナ、サソリや樹木が記される。

動物のポーズ、筋肉の表現などインダスと酷似。
ただ画一的な短角のウシを繰り返すペルシャ湾型印章とは対称的に、
複数の動物を記し図柄は印章ごとに異なる。
文字もサカナがモチーフのインダス文字を1、 2文字記すのみ。

図 13 - 1 : I - B 1類。テル・アスマル(Tell Asmar) IV a 層 F19 : 2 地点の発見。
アッカド後期(前 2200 年頃)
(Parpola 1994a: 314; コロン 1996: No.610)。
やや稚拙ながらゾウ、サイ、ワニを記す。
円筒上下端部の沈線はキャップ状装飾の痕跡であろう。

図 13 -2: I - B 1類。テル・スレイマーIV層 R12 発 見、アッカド期。(Parpola 1994a: 314; コロン 1996: No.609)
供物柱を欠く一角獣、秣桶を欠く短角のウシ、さらにそれ ぞれの上方にトリとサカナを記す。

図 13 -3: I - B 2類。ウルの王墓(PG)地区の発見。 
王墓に伴うとすればインダスと関連する円筒形印章で最古 の可能性もあるが、
出土状況は不明(Gadd 1932: No.7; Parpola 1994a: No.20)。一角獣の頭下と腰上にサカナ(文字?)、
肩上に三つ葉、前方に樹木。

図 13 - 4 : I - B 3類。ウルのイシン・ラルサ期の竪穴墓出土。(Mitchell 1986: No.17)
コブウシ、サソリ、飛翔する(?)人物、ヘビ、ヤシの木(?)などがインダスとはやや異なる表現の手法で記される。

コブウシの頭部を丸い大きな目で現すのはディルムン型印章の特長であるが、
パキスタン・バローチスターン丘陵のクッリ文化の影響も想起させる。
サソリはインダス文明以前のバローチスターン丘陵やインダス平原で土器の文様に見られるが、
文明期にはない。上下端に装飾取りつけの痕跡。

図 13 - 5 : I - B 4類。出土地不明。
上半部に台座に座る有角の人物(「角神」)やヘビ、
2 頭のトラと格闘する人物。

下半部にレイヨウ(ヤギ?)、サイ、トリ、「円(秣桶に代わるものか)」を挟んで向き合う 2 頭の頭を垂れたウシ、各種樹木(Corbiau 1936)。
ほとんどがインダスと 共通するモチーフであるが、
すべて同時に記す点が特徴。 
また「角神」はインダス文明の信仰対象で

(永嶺 2000)、 特別な印章であることを示唆する。

2.エラム地方(図 13 -6、表6)

I - A 類。スーサ出土。上半部に8つのインダス文字
下半部に 2 頭の短角のウシを記す。
インダス型印章をコピーした図柄と構図の唯一の例。
円筒に刻む難しさのためかウシの胴体は長いが、
性器や蹄などの細工は丁寧。

文字配列は B 類でインダス語の可能性は高い
(Parpola 1994a: No. 29)。
アッカド期頃であろうか。
印面上下端部の沈線はキャップ状装飾の痕跡であろう。

3.シスターン地方(図 13 - 7、表6) IないしII類のスタンプ型(?)円筒形印章。20 世紀

初頭のアフガニスタンのシスターン地方で発見と伝えられる(Knox1994;DuringCaspers1998)。
上半部欠損、下半部に6つのインダス文字(C 類)、
下面に鋸歯状に三角 形を並べた記号(文字?)を記す。

下半部に文字を記す類例は稀で、以下で触れるバローチスターンやトルクメニスタンとの関連が窺え、
また陸路の交易を裏づける。前2千年紀初頭頃か。

4.バローチスターン地方(図 14、表6) 上端に穿孔した鈕をもつスタンプ型円筒形印章が
パキスタン西部バローチスターン丘陵の麓のスィブリ・ダンブ (Sibri Damb)から2点出土している。

伴出する幾何学文の方形印章とともに
トルクメニスタン地方のタイプ・テペ(Taip Tepe)などの
「ムルガブ型印章」と比較される。

前 1900 年頃か(Santoni 1984: 58; Musée National 1988: 120, No.139; Jarrige and Hassan 1989: 162)。
末期のインダ ス文明で交易に従事した商人のものであろうか。

図 14 - 1 :II- B 1類。磨耗のためか全体が丸みを帯び、
図柄も不明瞭。側面に対峙するコブウシとライオン、 
下面にサソリ(?)を記す。
ウシとライオンの組み合わせ はイラン高原との(後藤 1999: 80)、コブウシにはインダスとの関連が窺える。

図 14 - 2 :II- B 3類。側面にコブウシを襲うライオン、
ワニ(ウシ上方とライオンの下)、両腕を掲げる人物を記す。
コブウシやワニにインダスの影響が窺える。
また 下面の記号は 2 文字のインダス文字の組み合わせか。

5.インダス文明版図内(図 15、表6)

8 点が出土している。
動物の表現はメソポタミア出土例
と酷似する。
文字配列はいずれも A 類でインダス語と考えられるという 22)。
帰属時期の確定は難しいが、多くは文明期前半の前 2600 ~ 2200 年頃と考えられる。

図 15 - 1 : I - A ?類。モヘンジョ・ダロ出土。
上半 部にインダス文字、下半部は欠損。

図15-2:I-B1類。モヘンジョ・ダロ出土。
2頭 のレイヨウ(ヤギ?)、トリ、サカナを咥えたヘビ、
木を記す。
トリとヘビはインダス型印章には登場しない。
これらの印章への表記は西方からの出土例に限られる(図 9 -9、図 11 -3,11、図 13 -2)。

図 15 -3: I - B1 類。モヘンジョ・ダロ出土。
サソリ (昆虫?)、2 頭のレイヨウ(ヤギ)とインダス文字(樹 木?)が記される。
振り返る姿のレイヨウはもう 1 頭に対し垂直に配置される。
前述の通りサソリは西方の印章にも登場する(図 11 -7、図 13 -4)

また上下端にキャップ状の装飾をかぶせた痕跡を残す。

図 15 -4: I - B 3類。カーリーバンガン出土。
有角の人物にトラの下半身が合体した生物と、
女性を挟んで互いに槍を投げ合う 2 人の男性を記す。
半人半獣の図柄はインダス型印章に 2 点あるが(Joshi and Parpola 1987: M- 311; K-50)、
女性と槍を投げ合う男性は類例がない。

インダス文明版図外にも類例がなく(後藤 1999: 81)、
インダス固有の可能性も捨てきれない。
 
以下は印面の様子など印章の可能性は低いが、
形態の類似上触れておく。

図 15 - 5 : I - C 1類。高さ5mm、直径・高さともに
9 mmと小さく、インダス文字を通常の文字配列のまま刻ん でいるため護符かもしれない。

図 15 -6: I - C 1類。図 15 -5と同形であるが上下 面にインダス文字と刺突を施す。本例も通常の文字配列。 

図 15 -7: I - C 2類。上下面の刺突は装飾などの取
り付け用であろうか。
側面に縦方向にインダス文字を記す。 

図 15 - 8 : I - D 類。側面に斜格子文、上下面に卍と レイヨウ(?)を記す。
他に類例はないが、スタンプ型兼用の円筒形印章であろうか。
 
さらにモヘンジョ・ダロハラッパーからは、
製作途中の円筒形印章の可能性も指摘される

貝製の円筒形の遺物が 5点出土している(During Caspers 1982: 345-346)

6.まとめ

1 以上で触れた円筒形印章は I - B 類(上下面平坦、
   ときに軸方向に穿孔、
図柄は複数の動物・樹木・人物のみ)を主体とする。

2 ペルシャ湾岸やオマーン湾岸からの報告例はない。
   ただし今後発見される可能性は大きい。

3 メソポタミア地方の出土例は、およそサルゴン期以
降となる。

4 インダス型印章をそのままコピーした図柄のスーサ
   の例を初め、
シスターン、バローチスターン各地方からの円筒形印章の発見は、
イラン高原トルクメニスタン方面との交易活動の一端を物語る。

5 円筒形印章はメソポタミア固有のものであるため、 
所有者の出身・出自も同地方であった可能性が高い。
図柄の複数の動物は、
所有者がインダス文明などの各商人集団と専属で結んだ交易関係、
提携、統合・結束、婚姻関係を表すのではなかろうか。

6 印章の製作者はインダス型印章と同じか、直接触れ ていたであろう。

プリズム形印章

オマーン内陸とバハレーンから発見されたやや細長い3 面のプリズム形の印章3点で、
インダス型印章とも関連す る動物の図柄やインダス文字を記す。
その起源には諸説あるが(Potts 1992: 110-113)、
工房址がカラート・アル・バハレーンI b ~II期(前 2100 ~ 1900 年頃)で発見され、 
バハレーンが中心であったと考えられる(Kjærum 1994: 339-340)。

1.オマーン湾岸(図 16 -1、表 7)

マイサル- 1(Maysar 1)の第 4 号住居から出土。
前2500 ~ 2000 年頃のウンム・アン・ナール文化(Umm an- Nar)の所産とされ(後藤 2000)、
各面にイヌとヤギ、コブウシとサソリ(?)、
レイヨウとヤギ(?)を記す。
表現の手法は当地固有である(後藤 1997: 68-69)。

当地から は鉛製や紅玉髄製の円形印章なども出土し(Potts 1992: 110-111; Vogt 1996: 117; Cleuziou 2002: 224)、
周辺の銅の採掘址や墓を含め(Weisgerber 1983)、
メソポタミア文明が「マガン(マカン)」と呼んだ当地の交易活動を裏づける。

2.ペルシャ湾岸(図 16 - 2 ・3、表7)
図 16 -2:アル・ハジャル(al-Hajjar)の1979 - 1 号
墓出土。
「初期ディルムン期」(Vine 1993: 48)の前半、
前 2200 ~ 1900 年頃の所産であろうか。
各面にインダス文字、 短角のウシとサソリ、向き合う 2 頭のヤギもしくはレイヨウ

を記し、文字は A 類という(Parpola 1994a: No.9; During Caspers 1998: 46, 55)。

図 16 - 3 :出土地不明。
アル・ハジャルの例と酷似し、 
3 面にはそれぞれインダス文字、短角のウシ、
向き合う2 頭の動物を記す。(During-Caspers 1998: 46、55)

ペルシャ湾型印章と同様にここでも短角のウシが登場し、 
インダス文字とともにインダスと共通する要素として重要。
マイサルとバハレーンの例が時期差か地域差かも不詳であるが、
互いに大きな時期的な隔たりはないであろう。

結語

 前3千年紀後半を中心に、インダス文明の版図外から発
見されたインダス型印章とこれと共通する図柄やインダス文字を記した各種印章の比較検証を行った。

その結果これらは多種多様で、すなわち所有者である商人たちの集団が複雑であったことが確認できた。

一方で、この議論の精度を高めるには

インダス型印章を初めとする各印章の編年を確立する必要性を改めて痛感した。

以下ではメソポタミア地方の編年を考慮しつつ、
年代ごとの総括をしておく。(表8)

前4千年紀後半~3千年紀初頭:最近のハラッパーの調査では、
インダス川流域における印章の使用は文明以前のラーヴィー期(前 3300 ~ 2800 年頃)にまで遡ることが指摘されている。(ケノイヤー 2001: 6-7)

メヘルガルIV期や アフガニスタンのムンディガク(Mundigak)II・III期などの区画文印章(compartmented seals)の影響も考えられる。(Shaffer 1987: 146, 148; Allchin and Allchin 1982: 133, 148)
ただし当時はいまだメソポタミア地方との直接 的な交易関係には至っていない。

前 2600 ~ 2400 年頃:インダス文明の成立とメソポタミア文明との交易が前 2600 年頃に遡ることは、
特産品の 紅玉髄製品の出土や初期王朝期の粘土板文書にインダス文明を指すという
「メルッハ」の記述があることなどから裏づけられる(Chakrabarti 1978; Possehl 1996; 近藤 2002)

ただし当期のインダス型印章の西方からの確実な報告例はない。
前 2400 ~ 2200 年頃:このインダス文明の最盛期には各地からインダス型印章が出土し、
メソポタミア地方南部でもアッカド期(前 2400 ~ 2200 年頃)に集中する(図3)

インダス文明の商人が直接当地を訪れていた証である。

しかも動物の図柄は短角のウシや一角獣、
トラなどインダス文明本土の場合と同様のバリエーションが見受けられる。 
これにインダスと共通する図柄の隅丸方形印章・前期ペルシャ湾型印章・円筒形印章とメソポタミア固有の円筒形印章、
サソリのみを記す帰属不明の方形印章(Mitchell 1986: No.9)を加えれば、
少なくとも合計6つの商人集団 が「共存」し交易に従事していたことになる。

このうち前4者は、インダスとメソポタミアを直接往来していたらしい。

このうち前期ペルシャ湾型印章は、
メソポタミア地方南 部が初現となる可能性さえある。その図柄は短角のウシに ほぼ限定され、
同じ図柄のインダス型印章を用いる商人集団から派生・分家・婚姻、または出向代理として派遣されるなどした集団を想起させる。

文字がインダス語ではなく、 
また一部が墓に副葬されたことも、
彼らがメソポタミアに「帰化」していたことを示唆する。
また短角のウシと楔形文字を記した隅丸方形印章については、
その図柄から所有者はペルシャ湾型印章の人々とも関係が深かったと考えられ、
メソポタミア文明側との仲介役のような役職にあった
のではなかろうか。

楔形文書に登場する「メルッハの船」(クレンゲル 1983: 55 -56)や円筒形印章に記された「メルッハの通訳」 (Parpola 1994b: 131-2; 世田谷美術館他 2000: No.110)は、
こうした当時の交易活動を裏づける。

とくにアッカド期の文書の「メルッハの出身者」や
「公正なるメスのスイギュウの(神の)男」といった
メソポタミアでは類例のない形容辞が
インダス文明からの移住者(1世ないし2世?)を示す可能性が指摘されている。(Parpola et al. 1977: 160- 164)
彼らこそが、ペルシャ湾型印章などの所有者ではな かったろうか。

一方、インダス型印章と共通する図柄の円筒形印章
(所有者はメソポタミア出身であろう)については、
各動物に象徴されるインダスの商人集団との専属の取引契約や集団同士の合併・婚姻関係などを示しているのではなかろうか。 

メソポタミアとインダス双方からの出土は、
かれらも両地 方を往復していたことを物語る。

これら多種の印章はこれまで東西を結ぶ海路・陸路上か らは未発見であった。
ただ当時オマーン湾岸・ペルシャ湾岸東部には
「ウンム・アン・ナール文明」(後藤 2000)が 栄え、
ウンム・アン・ナール島やテル・アブラク(Tell Abraq)、内陸のヒーリー8(Hili 8)などからインダス文明の石製分銅や「インダス系の搬入土器」などが出土している。(Potts 1992: 103; 後藤 1997: 61)

こうした遺跡から各種印章がさらに発見される可能性は高い。
 またオマーン湾岸などではインダス文字を記すプリズム形印章のほか、
当地固有の楕円形印章や梨形印章が知られ、
(Potts 1992: 110-113)
独自の商人集団を物語る。 

さらに陸路に関しては、インダス型印章が、
インダス文明 の「植民地」とも呼ばれる、
アフガニスタン北部のショルト ガイ(Shortughai)(Francfort 1989)や
トルクメニスタン地方のアルティン=デペから出土しており、北方の交易活動も活発であった。

卍文に代表されるようなこの地方専門のインダスの商人集団がいた可能性もある。
一方テペ・ヤヒヤーの押捺痕を残す土器片は、
イラン高原も交易対象地域であったことの証である。
  
逆にメソポタミア文明独自の(インダスの影響の見られない)円筒形印章の東方からの出土は
テペ・ヤヒヤー (Lamberg-Karlovsky 1971a: 91)などの数点に限られ、
交易活動がインダスから西へ向けた一方通行的な性格の強いものであった感は拭えない。

前 2200 ~ 1800 年頃:インダス型印章の編年は検討課題であるが、
前 2000 年頃になると印章を出土する遺跡が減少するようである。(図 4)

メソポタミア地方でもこの時期に特定できるインダス型印章とそれと共通する要素をもつペルシャ湾型印章・円筒形印章は稀となる。
インダス文明の商人が自ら大海原に乗り出す機会は激減し、交易の あり方が変化したのであろう。

それは楔形文書にも読み取ることができる。
ウル第3王 朝期の楔形文書にはこの時期のテローなどに「メルッハの息子」(インダス文明出身者の末裔か)たちの「メルッハ 村」が形成され、
その住民はシュメール風の名前をもち当地の生活に適応していたという。(Parpola et al. 1977; Possehl 1996)

こうした記述は古バビロニア期頃(前 1800 ~ 1600 年頃)に見られなくなっていく。

一方前 2200 ~ 2000 年頃以降のバハレーンでは、
短角の ウシを基本モチーフとしつつもレイヨウやサソリなど他の動物を併記し、
多様な配置や構図の後期ペルシャ湾型印章が登場する。

メソポタミア地方から前期ペルシャ湾型印章を用いていた商人の集団が移り住んだ可能性を考慮せねば ならない。
しかしそれは短角のウシをシンボルとするインダス文明への帰属意識が薄れ、
土着化が一層進んだことをも意味し、
「バールバール文明」(後藤 2000)が東西交易の要として台頭するのと軌を一にしていた(クレンゲル 1983: 57; 近藤 2002: 383)。

その傾向は前 2000 年頃以降に交易拠点がファイラカ島へ移るとさらに顕著となり、
もは やインダス文明の影響を読み取るのが困難なディルムン型印章が誕生する。
ロータルから発見された印章(IAR 1964: 9, 10, Pl.XXI; Rao 1985: 308, Pl.CLXI-B)や、
バハレ ーンなどで発見されたプリズム形印章もこの時期であろうか。
北方交易ではアルティン=デペからこの時期にもインダ ス型印章が出土し、前 2 千年紀初頭まで交易活動が維持されていたようである。

その後、前1800 年前後にはインダス文明は解体する。
しかし各地に個別の地方文化が台頭し一部で独自の印章が 用いられている。

一方この時期にもメソポタミア文明の円筒形印章の東方からの発見例はない。

唯一、インド中 部のナーグプル中央博物館が所蔵するアダド神と楔形文字を記した円筒形印章(バビロン第1王朝)が知られるが(Suboor 1914)、
その発見場所や入手先等については不明である。

謝辞

本稿は、日本西アジア考古学会定例研究会(2000 年 11 月 11 日)において発表した
インダス文明から見たアラビア湾岸「文明」と メソポタミア文明』に基づいて再構成したものです。
発表の機会を 頂いたこととともに、
本誌への掲載に尽力された編集委員会の方々には深く感謝致します。
また本稿の執筆に際してアスコ・パルポラ、 
後藤健、近藤英夫の各氏から様々な助言を頂いたほか、資料収集に ついてもパルポラ氏のほか M. K. クルカルニー、三ツ堀幸男の各氏 にご配慮頂きました。
心からお礼申し上げます。

 

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