クリスマスツリーの起源と、飾り付けの起源

クリスマスツリーは、

キリスト教以前の異教時代に、

冬至に魔除けとして、常緑樹を家の内外に飾った習慣にその起源を持つ。

しかし、このときモミもしくはドイツトウヒを用いていたのはオーストリアの一部やエルザス地方で、

ドイツ東部ではセイヨウイチイ、南西部のシュヴァーベンやファルツではツゲ、スイスではセイヨウヒイラギが用いられた。

ツゲの木

 

ヒイラギは古代ローマのサトゥルヌス(農神)祭にもなくてはならない木であった。

十二夜の間には、お守りあるいは魔法の媒介として、また豊穣を祈願して緑の枝でムチを作り、大きな音を出して打ち鳴らすこともあった。

聖ニコラウスの従者が持つムチも起源は同じで、今でも南ドイツやオーストリア、スイスなどで行われる聖ニコラウス祭では、
クランプスと呼ばれる従者が派手にムチを打ち鳴らして回る。

月桂樹

 

中世も終わるころ異教とキリスト教の習慣が一体化し、

月桂樹やカシ、ナラといった常緑樹の小枝は、神と人間が一緒になった幼児キリストの永遠の姿と目されるようになった。

モミの木はキリスト教では、われわれの罪を受け入れる天国とイエス・キリストの木とされている。

ゴルゴダの丘イエス・キリストが磔にされた十字架はモミの木でできていたという。

モミの木を用いた現在のようなツリーは、
シュヴァルツヴァルト地方やエルザス地方の南西ドイツで生まれた。

エルザス地方はドイツとフランスの間で領土争いが繰り返されてきたところだが、
クリスマスツリーの発祥地域は主として、当時はドイツ帝国領土であった。

飾り付けをしたツリーが最初に記録に登場するのは、1419年フライブルクにおいてだった。

パン職人の信心会が聖霊救貧院にリンゴ、洋梨、オブラート、レープクーヘン、色を塗ったナッツ、金紙などの紙飾りを付けたツリーを飾った。

クリスマスツリーの最古の飾りはりんご?
https://www.aomori-ringo.or.jp/christmas/christmas-apple/christmas-apple-decoration/

 

フライブルクは言わずと知れた黒い森(シュヴァルツヴァルト)に隣りあう都市である。

近くの森にモミの木がふんだんにあったためか、この頃からすでにモミの木泥棒の記録も残っている。

1597〜1669年のテュルクハイムの同業者組合長の請求書には、クリスマスパーティーを開いたホールのツリー用の、
「リンゴ、ホスチア、色紙、飾りをツリーに付ける紐」という記載がある。

 

カトリックの種なしパン、ホスチアと
ユダヤ教の種なしパン、マッツォ
https://ameblo.jp/tomoching2/entry-12148898139.html

また1604、05年には、エルザス地方のシュトラースブルクで家庭にモミの木を立て、
「色紙で作ったバラ、リンゴ、オブラート、金紙、砂糖など」を飾ったという記録がある。

「ナッツ、レープクーヘン、様々な色の紙で作ったバラ、リンゴ、小さくて薄い菓子、金紙、砂糖菓子‥」

シュトラースブルク出身で1640年代の著名な神学者・伝道師ヨハン・コンラート・ダンハウザーは、
「神の言葉よりも、モミの木に人形や砂糖をつるし、あげくにそれを(子供たちに)取らせることに人々が傾倒している」ことを
「嘆かわしい習慣」と批判しているが、
彼の残した記録は、くしくもこの時代のツリーを今に伝える格好の証言となってしまった。

また、この頃はツリーを天井から吊るすこともあった。

 

林ひとみ著:クリスマスの文化史より