サウィン(サムハイン):ハロウィンのケルト的ルーツと死を司る神ドン

サムハインの大火祭が祝われたトラハトガ

https://www.newgrange.com/samhain.htm

10月31日の夜、何百万人もの子供や大人が
ハロウィーンの楽しみに参加する中、 
その古代ケルトのルーツがサムハイン(サウィン)
(Samain)祭であることを知る人は少ないだろう。

約2000年前のケルトアイルランドでは、
サムハインは1年を
明るい半分(夏)と暗い半分(冬)に
分けるものだった。
サムハインでは、
この世とあの世の仕切りが最も薄くなり、
精霊が通り抜けられるようになった。

一族の祖先を敬い、家に招き、
有害な霊を追い払った。
人々は衣装や仮面を身につけ、
有害な霊に変装して害を避けた。

焚き火と食べ物が祭りの大きな役割を果たした。
屠殺された家畜の骨は共同の火に投げ込まれ、
家庭の火は消され、たき火から再び始められた。

生者と死者のために食べ物が用意され、
食べることができない先祖のための食べ物は、
裕福でない人々に儀式的に分け与えられた。

キリスト教では、11月1日に万聖節
(All Hallows)、11月2日に万霊節(All Souls)
を行い、死者を敬う習慣を
キリスト教の暦に取り入れた。

有害な霊を追い払うための仮装や仮面の着用は、
ハロウィーンの習慣として残っている。

19世紀、特に1840年代に
アイルランドが飢饉に見舞われた頃、
アイルランド人は大勢アメリカに移住した。

アイルランド人は
ハロウィーンの伝統をアメリカに伝え、
今日では1年の中でも主要な
祝日のひとつとなっている。
時を経て、他の伝統もハロウィーンに溶け込み、
例えば、カボチャを彫るという
アメリカの収穫時期の伝統がある。

ボイン渓谷にある2つの丘は、
ケルトアイルランドでは
サムハインに関連していた。
トラハトガは、サムハイン
(ハロウィン)の前夜に始まる
大火祭りの場所だった。
タラもサムハインと関連していたが、
この点ではトラハトガの二の次だった。

タラの丘にある人質塚への入口通路は、
サムハインの日の出に合わせてある。
人質塚は4500年から5000年前のもので、
約2500年前に最初のケルト人が
アイルランドに到着するずっと前から、
サムハインが祝われていたことを示唆している。

タラの丘でのケルトのアース・ワークス

ディワリ祭
光の祭典として知られる
ヒンドゥー教のディワリ
(ディヴァリ、ディーパヴァリ)祭は、
サムハインとほぼ同時期に行われる。
ディワリはヒンドゥー教の新年にあたるが、
ちょうどサムハインがケルトの新年にあたる。

サムハイン/ハロウィン

Tlachtgaからの抜粋:ジョン・ギルロイ著『ケルトの火祭り』より抜粋。
サムハイン祭は、ケルト人の1年の終わりと
新しい1年の始まりを告げるもので、
晦日に相当する。
ケルト人は夜が昼に先立つと信じていたので、
祭りはサムハインの前夜に行われた。
この祭りがケルトの4つの祭りの中で
最も重要であったことは間違いない。

キリスト教以前のアイルランド人にとって、
サムハインは象徴的な意味を持つ
重要な時期だった。
トラハトガでの祝祭は、
丘の上での豊穣の儀式に
起源を持つかもしれないが、
他の信仰を集め、
それが大火祭りで結晶化したのである。

この時期に太陽の力が弱まることは、
初期の人間にとって不安の種であり、
冬の焚き火は、空を渡る太陽を助けようとする
人間の試みを象徴していた。
火は太陽と対をなす地上的な存在であり、
冬が到来し、自然が衰退していくという
圧倒的な感覚を前にした
人間の無力さを表現するのに、
力強く適切なシンボルである。

太陽が冥界に降りた今、
冥界の勢力が台頭している。
太陽の支配から解き放たれた冥界の主が
地上を闊歩し、
彼とともに死者の住処からやってきた
他のすべての生き物が旅をした。

亡霊、妖精、その他大勢の
無名の生き物たちも彼と一緒に旅をした。
ケルト神話における死者の主は、ドンである。

神話によれば、ミリセ人と呼ばれる
アイルランドの侵略者がボインに上陸したとき、
彼らはタラに向かった。
そこに着くと、彼らはドルイドから船に戻り、
9つの波の長さまで海岸を航海するよう勧められた。

https://www.ancient-origins.net/myths-legends-europe/milesians-0011601

彼らが海に出たとき、大嵐が起こり、
艦隊は散り散りになった。
そのうちの一隻の指揮官はドンだった。
彼の船は嵐で粉々に砕け散り、
彼自身も24人の仲間とともに溺死した。
彼はケリー沖のスケリッグ諸島に埋葬された。

彼はアイルランドで死を迎えた
新しい侵略者の最初の一人であり、
そのため彼は死者の神の地位に昇格した。
彼の埋葬地はテック・ドン(ドンの家)として
知られるようになり、
やがて異界と同一視されるようになった。

ケルト人は、自分たちの先祖を
可能な限り遡ることに夢中になり、
しばしば自分たちの最も古い先祖を
自分たちの民族の神々と同一視した。
それゆえ、祖先が亡くなると、
その祖先の家、つまりあの世の
神の家に行くという信仰が生まれた。

興味深いことに、
スケリッグ諸島にあるドンの住処は、
ヴァレンティア島にある
モグ・ルイスの伝統的な住処から
ほんの数マイルしか離れていない。

地理的に隣接しているだけでなく、
両者はサムハインと密接な関係があり、
モグ・ルイスがサンゴッドとして
冥界の領域である
ドンの住処に滞在していると言える。

ドンは、荒涼とした
スケリッグ山脈の孤立を好み、
他の神々から距離を置く
隠遁の神と考えられている。
その名は「茶色」を意味し、
死者の影の領域と関連している。
オホゲインによれば、
9世紀に書かれたテキストには、
ドンに対する非常に重要な引用が記されている。

他の多くの情報源によると、
死者は彼の家に集合し、
ここを行き来する死者について記述されている。
この地域の漁師たちは、
夜になると奇妙な船がこの島を通るのを耳にし、
下船した人々の名前が呼ばれたという。

後のキリスト教の作家たちは、
地獄へ旅立つ前に、
呪われた人々の魂が彼の家に
留まっていたと主張した。
驚くことではないが、彼の人物像は、
キリスト教作家が
悪魔を描く際に脚色されてきた。

サムハインが死者の祭りであることは、
現在では明らかにドン教を
祭りに取り入れたと見ることができるが、
どのように取り入れたのかは不明である。

焚き火は、ここではモグ・ルイスとして
顕現しているサンゴッドに敬意を表して
焚かれた可能性が高いが、
その他の装飾の一部は明らかに
死者の神と関連している。

サムハインが1年の半分と半分の
分岐点であるという考えから、
サムハインは時が止まったような
独特の地位を獲得した。

この夜は時間が止まっていると言え、
その意味は計り知れない。
この夜、生命の自然の秩序は混乱に陥り、
生者の地上世界は死者の世界と
絶望的なまでに絡み合った。
しかし、死者の世界そのものが複雑な場所であり、
亡霊だけでなく、神々や妖精、
その他の不確かな生き物の群れが住んでいた。

この夜、不用心な旅行者が家を離れると、
これらの生き物のいずれか、
あるいは多くに遭遇することが予想された。
幽霊はどこにでもいて、
生きている人に害を及ぼすこともあれば、
及ぼさないこともあった。

興味深いのは、写本によると、
この夜、この国のすべての火は
消されなければならず、
トラハトガからの大きな炎によってのみ
再点火が可能であったということである。
もちろん、これは文字通りの意味ではなく、
この時期に闇の力が短期間、
一時的に優位に立つことを象徴している。

この時期、全世界は暗闇に包まれ、
死者は海外に散らばっていた。
トラハトガの火が灯されると、
すべてがうまくいき、
他のすべての火が再点火できるようになった
という合図となった。

トラハトガの火は光の勝利を祝う
公的なものであり、
家庭の火の再点火は祝宴を祝う
家庭的なものであった。
これで、死んだ先祖の霊を安全に
家に迎え入れることができ、
家庭に脅威を与えることはなくなった。

このテーマは、アイルランド文学の中で
絶えず繰り返されている。
マッコルーは、死者崇拝は家族の健康のために
頂点に達したと語る。
この夜、先祖の霊が
炉辺に暖を求めることが非常に多かった。
霊を暖めるために火は焚かれ、
霊のために食べ物が出された。
先祖の霊が良性のものであったとしても、
早く寝ることで彼らを避けることができた。

しかし、幽霊はまったく
善良ではなかったかもしれない。
彼らはこの夜、儀式の供え物という形で
何らかの鎮めを必要としていた。
供え物がある限り、
幽霊は幸せで善良であったが、
供え物を差し控えると、
幽霊の別の側面が現れる。
その家には不運が降りかかり、
その年はすべてがうまくいかなくなる。
この伝統の名残が、
現代のハロウィンの習慣である
「トリック・オア・トリート」に
残っているのかもしれない。

お化けや魔女の仮装をした子供たちが、
もてなすか、不運な結末を迎えるか、
家人を誘うのだ。

「トリート」は儀式の供え物を表し、
「トリック」は、現在では
無害ないたずらだが、
古代では、この夜に先祖の幽霊を
十分に鎮めることができなかった場合の
災いを表していたのかもしれない。

しかし、サムハインでずれたのは
時間だけではない。
この祭りが夏と冬の境界線上にあるように、
この時、他のすべての境界線が
危険にさらされていた。

人の土地と隣人との境界線は、
この夜には危険な場所だった。
隣接する土地と土地の境界線は、
特に恐ろしい場所であり、
避けるのが最善であった。

橋や十字路も幽霊に遭遇しやすい場所だった。
当然のことながら、
埋葬地はどの夜も避けられたが、
この夜は特に避けられた。

ここではあらゆる種類の幽霊が目撃され、
死者が生者と自由に交わっていた。

ケルト人にとって、
未来を占うことは日常生活の重要な一部であり、
サムハインのトラハトガでは、
この占いが祭りの中心を
なしていたことは間違いない。

その名残は、
今日でもハロウィンで見ることができる。
ハロウィンの真夜中に教会に行き、
ポーチに立つという習慣はよく知られている。

勇気のある観察者は、注意深く観察すれば、
その年に死ぬ人々の霊を見ることができるが、
自分自身と出会う危険もある。
同じように、この夜に鏡を見ている女の子は、
結婚相手の姿を見るが、悪魔を見る危険もある。

真夜中に墓場に行き、
墓の周りを3回歩く勇気のある人は、
未来を垣間見ることができるが、
やはり悪魔に会う危険がある。

この後者の例は、ケルト人にとって儀式で
非常に重要な3回の太陽回りを
保存している点で興味深い。
悪魔と出会う可能性は、
異教の死者の神をキリスト教の悪魔と
結びつけようとする、
よく知られたキリスト教の試みを 
表しているのかもしれない。

そうであれば、死者の神ドンは、
この夜に島の家を出て、
国中を自由に旅したことになる。
彼が魂を持ち去ったのかどうかは不明だが、
持ち去った可能性は高い。

冬の焚き火に供物を捧げるのは、
キリスト教の到来によって
悪魔に取って代わられるまでの間、
彼を鎮めるための試みだったのかもしれない。

アイルランドの初期の写本には、
サムハインの魔術的な意味についての
記述が散見される。
サムハインは、フィアンナとして知られる
戦士団の戦闘と狩猟の季節の終わりを
告げるものだった。

サムハインになると、
彼らは冬のキャンプに引きこもり、
ルテインヌに夏が戻ってくるまで、 
一般民衆の上に四分の一の身を置く。

フィオン・マクマハイルは、
タラの宮廷に初めて姿を現すときとして
サムハインを選んだ。
コンノートの女王ミーブは、
クーリーの牛追い大作戦に出発する前に、
サムハインまで待った。

フィオン・マクマハイル、リュー、
そしてミーヴの敵であるクークレインは、
アイルランド神話の三大巨頭であり、
彼らが登場する時期として作家たちが
サムハインを選んだことは興味深い。

マグ・トゥイアードの戦い
(メイヨー州の戦いとされる)は
サムハインに戦われた。
初期の作家たちは、
自分たちが描いている出来事に
魔術的な性質を与えたいとき、
その機会にサムハイン祭を選んだようだ。

ケルト人の想像力において、
サムハインが中心的な位置を占めていたことは
疑う余地がない。
そこでは、
いくつかの地元の神々にまつわる祝祭が、
おそらく1000年以上にわたって、
死者の神の祝祭と絡み合っていた。
こうした祝祭の名残が、
私たちのハロウィーンの祝祭に受け継がれている。

Tlachtgaからの抜粋:ジョン・ギルロイ著『ケルトの火祭り』より抜粋。