アレキサンダー大王の遠征において、インダス川沿いに住む人々は野蛮人と呼ばれた

無残な殺戮の年代記

1893年アレキサンダー・モザイクの復元図。出典:Public Domainパブリックドメイン

マーク・オリバー著
https://www.ancient-origins.net/history-important-events/remorseless-chronicles-slaughter-fatal-ancient-greece-021957

植民地支配はあまり変わっていない。 

2000年以上前、
ペルシャを征服したアレキサンダー大王(アレクサンドロス)は、
古代の探検家ネアカス(ネアルコス)に
インダス川を下る航海をさせ、
前途の土地を地図に描かせました。
その航海は、来るべき世界の探検家たちの
奇妙で無気味な反響に満ちていた。

コンゴの中心を最初に旅した男たちのように、
ネアカスは大河を航海し、
ギリシャ世界が知らなかった
新しい部族を発見した。

そして、コンゴの探検家たちと同じように、
彼らを「野蛮人」と呼び、皆殺しにした。

ネアカスのインダス川下りの旅

ネアカスはアレキサンダー大王の
軍隊の提督であった。
彼はギリシャ艦隊を率いて
ペルシャとの戦いに臨み、
ペルシャの戦線を突破するのに貢献した。
そして、ペルシャが足元をすくわれたとき、
アレキサンダー大王は彼をインダス川を旅させ、
見たものすべてを書き留めさせた。

彼は大航海時代より
何千年も前の探検家であり、
未開の地に飛び出し、
ギリシャ世界が見たこともないような
エキゾチックな動物や文明の
驚くべき物語を持って帰ってきた、
忘れられた初期の人物の一人である。

ペルシャ帝国を手に入れた直後までの
ネアカスの航海とアレキサンダーの作戦を示す地図 - A History of the Ancient World, 
George Willis Botsford Ph.D., The MacMillan Company, 1913より。
( パブリックドメイン )

インドにおける最初のギリシャ人探検家の一人

彼が見たもののほとんどは、
畏敬の念を抱かせるものだった。
ネアカスは、
ギリシャと肩を並べる大国である
インド文明に魅了された。
インディアンが「オウム」と呼ぶ鳥の一種について、
彼は熱心に興奮した話を書き、
本国の同胞に「人間の声」で
話すことができると主張した。

さらに、彼は国民にも感心した。
彼は「インドの射手が放つ矢に
対抗できるものはない」と軍隊を賞賛し、
「非常に慎み深い」美女と呼ばれる女性を賞賛し、
ギリシャ人が多くの点で学ぶことができる
寛容で平静な文明そのものだと賞賛した。

しかし、インドは高度な文明を持っており、
その大都市に住む人々は
インダス川に住む人々だけではなかった。
そして、ネアカスと他の人々との出会いは、
それほど平穏なものではなかった。

フランチェスコ・フォンテバッソ
アレキサンダー以前のダリウスの家族」
( パブリックドメイン )

フィッシュイーターズ石器時代の部族

インダス川の沿岸には、
まだ石器時代の技術を使う部族が点在していた。
ネアカスは彼らの多くを
「フィッシュイーター」と呼んだ。
主食が魚であったからだ。
ナツメヤシの樹皮で作った網で漁をし、
生で食べていた。

金属は、まだこの民族には
届いていなかったようだ。
武器は、先端を石で削り、
火で固めた木製の槍だけだった。
また、動物の毛皮を身にまとい、
大きな石をハンマーとして使い、
素手で食べ物を引き裂いた。

パキスタン、カルマング地区のインダス川
( cc by-sa 3.0 )

インダス川での大虐殺

帰路、ネアカスたちは河口の潟で
部族の一団に出会った。
部族民は、自分たちに迫ってくる、
ギリシャ船の大船団のようなものを
見たことがなく、
恐怖と畏怖の念に包まれた。

何が起こるか分からないので、
彼らは木の槍を手に浜辺に並んだ。
ネアカスの著書によれば、
総勢600人ほどであったが、
鎧もなく、尖った棒以外に戦うものはなかった。

世界最強の軍隊と戦ってきた
彼の船のギリシャ兵にとっては、
さしたる脅威ではなかった。

ネアカスはその場で一人残らず屠った。
彼は軽装の兵士を岸辺に泳がせ、
原住民が槍で効率よく攻撃できない水中で
隊列を組ませた。

そして、彼が号令をかけると、
彼らは原住民に突撃し、
船上の者は矢やミサイルの雨を
原住民に浴びせかけた。

部族は反撃しようともしなかった。
ネアカスは、この大虐殺の様子を
誇らしげにこう書いている:

「鎧の閃光と突進の速さに驚き、
矢とミサイルの雨に襲われ、
半裸のまま、抵抗することをやめず、降伏した。
ある者は逃げ惑ううちに殺され、
ある者は捕らえられ、ある者は丘に逃げ込んだ。」

ヤン・ブリューゲル長老が描いた
イッソスの戦い」( パブリックドメイン )

無垢な町の虐殺

それからしばらくして、
ネアカスとその部下たちは、
木の壁に囲まれた部族の町に出くわした。
食料も残り少なくなり、
ネアカスは部下が空腹になるのを恐れていた。
彼は部下に、近づいて様子をうかがい、
それから攻撃の合図を出すと言った。

しかし、部族は彼を見つけると、
予想外の行動に出た。
魚やケーキ、ナツメヤシなどを用意して、
ギリシャの探検家を自分たちの町へ招き、
大きな宴を開いたのだ。

ギリシャの探検家を町に招き入れ、
大宴会に参加させたのだ。
彼らは来客に感激し、
彼が必要とするものを喜んで分け与えた。

ネアカスは感謝するふりをして、
城壁の中までついて行った。
しかし、彼は中に入るや否や、城壁に登り、
部下に合図をして攻撃させた。

しかし、彼はそのもてなしの心を利用して、
町の門を開け、部下を押し入れ、彼らを虐殺した。
そして、服従を強要し、
持っている食料をすべて渡すまで脅したのである。

彼は、人々は彼の部下より
少ししか持っていないことを知りました。
大麦の実もほとんどなく、
干した魚をすりつぶして粉にしたものだった。

彼らが持ってきたケーキは、
よほどのことがない限り出てこない嗜好品だった。

それでも、彼と彼の部下たちは、
持てるものすべてを手に入れた。
船には持てるものをすべて積み込み、
原住民を飢えさせるために置き去りにした。

暗闇の心

これらは恐ろしい話だが、
偉大な人物を中傷しようとした
敵からのものではないのだ。
ネアカス自身が書いたもので、
そのどれもが後悔の念を
微塵も感じさせずに書かれています。

ネアカスにとっても、
彼の著作を読んだギリシャ人にとっても、
自分のしたことを
正当化する必要はなかったのだ。
彼と彼の部下には食料が必要だったし、
彼らは未開人だった。
彼らを殺すことは、
動物を殺すこととほとんど変わらなかった。

文明人と後進の野蛮人の境界線は、
私たちの種が
何度も引いてきた不気味な線である。

テクノロジーは人々をより人間らしくする、
先進的な人々の命は
遅れた人々よりも価値がある、
という暗黙の考えがある。

それは、彼にとって唯一の虐殺ではないだろう。
技術的に劣る部族との出会いは、
ほぼすべて虐殺に終わった。

しかし、ネアカスの物語が明らかにしたのは、
その線引きが
何千年も前から行われていたということです。

これは、人間の暗黒面を垣間見たような気がします。
他人の命の価値を常に秤にかけて、
決して同じ点数にはならない本能が、
私たちの中で働いているのかもしれません。


マーク・オリバー著
2018年6月26日

 

ネアカス(ネアルコス)は、

特別英雄視されているわけではありませんが、

この侵略を批判的されているわけでもありません。