母の日の歴史:古代エジプトのイシスから現代まで

https://www.aucegypt.edu/news/stories/history-mothers-day-ancient-egypt-modern-times

母の日の起源は、
ギリシャやローマで行われた
母なる女神に捧げる春祭りや、
1600年代からヨーロッパの
キリスト教で行われるようになった
「マザーリングサンデー」
にあるとする説が有力です。

しかし、実は、母性を祝う最初の行事は、
ここエジプトで、
ファラオ時代の伝統の一部として行われました。

古代エジプトのルーツ

古代エジプトの人々は、
理想的な母親と妻を表し、
自然と魔法の守護神であった
古代エジプトの最も人気のある不朽の女神の一人、
イシスを称えるために毎年祭りを行っていました。

古代エジプト神話によると、
イシスは兄でもあるオシリスの妻でした。
オシリスが嫉妬深い兄セトに殺されたとき、
イシスはエジプト中に散らばった
オシリスの体の一部を集め、
それを使って自分を孕ませました。

そして、父の仇であるホルスを産み、
セトを殺してエジプトの初代統治者となった。
その結果、イシスは
すべてのファラオの母親とみなされ、
母性の象徴となり、
毎年イシスを讃える祭りが行われるようになった。

イシスは最初、
空の玉座を頭に載せて描かれ、
ファラオの背後にある力を
擬人化したものでした。

その後、イシスは牛の角を頭に乗せ、
その間に太陽の円盤を乗せたり、
翼を持った女神として描かれるようになりましたが、
これはイシスの保護と
死者に新たな命を吹き込む能力を示すものです。

新王国時代には、
イシスが息子のホルスに授乳している姿も
描かれるようになりました。

イシスの宗教は、
支配者プトレマイオス1世ソテルによって、
現代のエジプトに広がる彼の王国で
ギリシャ人とエジプト人を統一する手段として、
ヘレニズム世界に導入されました。  

ギリシャ・ローマ文化圏では、
イシスは女神デメテル、アスタルテ、
アフロディーテと結びつき、
豊穣と女性らしさを象徴する存在となりました。

古代ギリシャでは、ゼウスの母であり、
すべての神々の母であるレアを祀る
春の儀式が行われ、
夜明けに蜜餅、美酒、花などを供えました。  

古代ローマのヒラリア祭は、
3月の春分の日を中心に
数日間にわたって行われ、
神々の母であり、
マグナ・マター(偉大なる母)とも呼ばれる
キュベレを讃える祭典でした。

神的なものから世俗的なものへ

やがて、母性の祝祭は、神の表現から、
個人そのものへと移行していきます。

イギリスでは、
四旬節の第4日曜日に行われる
マザリングサンデーが、
徐々に世俗的な伝統となり、
働く人々が休みを取って実家に帰り、
母親を見舞うようになりました。  

アメリカにおける現代の母の日の誕生は、
すべての母親の犠牲を称える
公式の祝日を提唱した
アンナ・ジャービスによるとされています。

活動家でありソーシャルワーカーであった
亡き母の影響を受けたジャービスは、
1908年、ウエスバージニア州
メソジスト教会
母のための追悼行事として
最初の「母の日」を開催しました。

そして1914年、
彼女とその支援者たちは、
母の日を5月の第2日曜日に祝う
国民の祝日にすることに成功しました。

今日、母の日は世界中で祝われており、
通常は3月か5月に行われます。  

国によって伝統は異なりますが、
母親への感謝の気持ちを込めて
プレゼントや花を贈ったり、
食事を作ったりするのはどこの国でも同じです。

エジプトの母の日

アラブ諸国における現代の
「母の日」のルーツは、再びエジプトでした。

AUCに在籍していたジャーナリスト、
ムスタファ・アミンは、
エジプトで母の日の制定を
普及させることに貢献しました。

https://english.ahram.org.eg/NewsContent/32/138/407444/Folk/Photo-Heritage/-March,--The-story-of-the-first-ever-Mother%E2%80%99s-Day-.aspx

1943年、アミンはアメリカの伝統を観察し、
著書「Smiling America」で
エジプトの人々にこのコンセプトを
紹介したと言われています。

アミン氏は、
多くの母親が人知れず子どものために犠牲になっている様子を目の当たりにし、
エジプトで母の日を正式な祝日にするための
キャンペーンを展開しました。

1956年、アミンが成功し、
エジプトで初めて正式な母の日が
春分の日である3月21日に祝われ、
この習慣はすぐに他の地域にも広まりました。

2016年3月21日