メキシコ:世界最大の体積を誇りながらメジャーになれないチョルーラ大ピラミッド

かつては平凡な場所に隠され、驚くほど無視されていた:チョルーラの大ピラミッド

2015年12月9日 Dhwty

https://www.ancient-origins.net/ancient-places-americas/once-hidden-plain-sight-and-surprisingly-ignored-great-pyramid-cholula-020650

メソアメリカには数多くのピラミッドがある。
これらのピラミッドの中には、
非常に有名なものもあれば、
もっと無名のものもある。
世界最大のピラミッドとしてギネスブック
認定されているにもかかわらず、
あまり知られていないピラミッドのひとつが
チョルーラの大ピラミッドだ。

ここで触れておきたいのは、
チョルーラの大ピラミッド
(実際には神殿として機能していた)は、
その体積において世界最大の
ピラミッドであるということだ。

チョルーラのピラミッドの容積は
445万立方メートル(1億5720万立方フィート)
と推定されている。
これに対し、ギザの大ピラミッドは、
高さはチョルーラの大ピラミッドの
約2.5倍だが、体積は250万立方メートル
(8,830万立方フィート)である。

チョルーラの大ピラミッドの位置と構造

チョルーラの大ピラミッドは、
現代のメキシコで4番目に大きな都市
プエブラの郊外にある。
このピラミッドは、
メソアメリカのパンテオンの中で
最も重要な神々の一人である
ケツァルコアトルに捧げられたもので、
コロンブス以前の時代、
チョルーラは大都市であり、
メキシコ高地の宗教的中心地であった。

チョルーラの都市と大ピラミッドの模型。メキシコ、プエブラ、チョルーラ博物館。( cc by sa 4.0 )

チョルーラの大ピラミッドは、
近くにあるポポカテペトルという
火山を鎮めるために造られた
とも推測されている。

これは、その火山山の輪郭が
大ピラミッドの形に反映されていることと、
ピラミッドの別名である
トラチフアルテペトル
(「人工の丘」を意味する)が由来している。

神殿の建設は紀元前2世紀に始まり、
いくつかの段階を経て最終的な形になった。
チョルーラ最古のピラミッドは、
チョルーラの北西約100km
(62.1マイル)にある、
もうひとつの宗教的に重要な
メソアメリカの都市、
テオティワカンのピラミッドと
同時期に建設されたと考えられている。

チョルーラとテオティワカン
類似した特徴から、
両者が姉妹都市であったことが
示唆されている。
何世紀にもわたり、
チョルーラの大ピラミッドは、
建設者たちによって増築されながら
「成長」していった。

全盛期のチョルーラの大ピラミッドの想像図。 
( パブリック・ドメイン )

崩壊するチョルーラの大ピラミッド

西暦600年頃、チョルーラは
オルメカ=キシカランカ族に征服され、
彼らは街のピラミッドも増築した。
しかし、西暦1100年頃、
都市はトルテック=チチメカの手に落ちた。
トルテック=チチメカ族が
チョルーラを占領したとき、
大ピラミッドはすでに大部分が
地中に沈んでおり、
草木が一面に生い茂っていたと言われている。

チョルーラの大ピラミッドの祭壇跡。発掘された際、首を切られた子供の奇形頭蓋骨が2つあることが判明した。( Justin Ames )

トルテック=チチメカ族は、
この古代の神殿を取り戻すのではなく、
そのままにしておき、
代わりに新しい神殿の建設に
力を入れることにした。
トルテック=チチメカ族の支配のもと、
チョルーラの町は繁栄し、
拡大するアステカ帝国を前に、
しばらくの間独立を維持することもできた。

メキシコ、プエブラのチョルーラの大ピラミッドの発掘された部分。(Diego Delso/ CC BY SA 3.0 )

とはいえ、チョルーラは
最終的にアステカに征服され、
その後スペインの手に落ちた。

1519年、
スペインの征服者エルナン・コルテスは、
当時メキシコ第二の都市であった
チョルーラに到着した。

その前のトルテック=チチメカと同様、
アステカはチョルーラの
大ピラミッドを修復しなかった。
その結果、スペイン人が到着したとき、
彼らはこれが
人工の建造物であることを知らず、
ただの自然の丘だと信じていた。

1594年、スペインの植民地主義者によって、
エストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス教会(Iglesia de Nuestra Señora de los Remedios)
と呼ばれる教会が建てられた。

この教会は、サントゥアリオ・デ・ラ・ビルヘン・デ・ロス・レメディオス(救済の聖母の聖域)
としても知られ、
今でもチョルーラの
大ピラミッドを訪れる人々の
目に触れることができる。

遠くから見ると、チョルーラの大ピラミッドは教会のある自然の丘のように見える。( cc by sa 2.0 )

大ピラミッドの再発見

チョルーラの大ピラミッドが
再発見されたのは20世紀初頭のことである。

1910年、当局は大ピラミッドの麓に
精神病院の建設を始めた。
その時初めて、「自然の丘」が
古代のピラミッドの
本拠地であることが判明したのだ。

メキシコ、プエブラのチョルーラの大ピラミッドで発掘された祭壇のパティオ。( cc by sa 4.0 )

その後、考古学者による
調査と発掘が行われた。
1930年代には、ピラミッドの内部を
調査するためにトンネルが作られた。
その結果、全長8km(4.97マイル)にも及ぶ
通路網が発見された。
現在、これらのトンネルは、
ピラミッド建設の様々な段階を
見学することができる。

チョルーラの大ピラミッドまたはトラチフアルテペトル(「人工の山」)の奥深くで発掘されたトンネル。

チョルーラの大ピラミッドで発見された
もうひとつの考古学的発見は、

"Los bebedores"(酒を飲む人々)と呼ばれる壁画である。( Tempo Ameríndio )

チョルーラの大ピラミッドが
有名であるにもかかわらず、
チョルーラの街は
 "驚くほど無視された場所 "であると
指摘されている。
しかし、世界の多くの古代遺跡が
毎年訪れる観光客の量によって
過度の負担を強いられているため、
ピラミッドの保存という点では、
これは実は良いことなのかもしれない。

画像はイメージです:メキシコ、プエブラのチョルーラ大ピラミッド遺跡の一部。写真出典:Diego Delso/CC-BY-SA 3.0ディエゴ・デルソ/CC-BY-SA 3.0
撮影者: Ḏḥwty