蛇と踊る:ネイティブアメリカン・ホピ族の蛇踊りの本当の理由〈後編〉

左:ホピの蛇踊り ( adobegallery ) 
右:ホピの男性:年に一度の蛇踊りと雨乞いの儀式中のホピ族の男性、1946年(パブリックドメイン


ゲイリー・A・デイヴィッド著
https://www.ancient-origins.net/history-ancient-traditions/dances-snakes-real-reason-hopi-snake-dance-part-ii-009870


広場での最後のヘビ・ダンス・パフォーマンスの前日、オリオン座とシリウスが昇る日の出前に、
ヘビ社会の2人の戦士が
ヘビとアンテロープのキバの周りを数周する。
これらの気象現象は、
ホピの天空神ソトゥクナンとも関連している。

ネイティブ・アーティストによって描かれた
ホピのカトシン(1904年)

天空の神で、頭部にある一本の湾曲した角と、
角の表面と根元にある
雨雲のシンボルですぐにわかる。
左手には稲妻を象徴する
棒の骨組みを持っている。
この骨組みには、
画家が黒い線で示した鷲の羽が
それぞれの角についている。

右手には、稲妻を赤の
ジグザグ・バンドで表現した紐のついた
スラット、ウィザー(牛追い棒)
を持っている。
2つのバンドーレが描かれている。

ウィリアム・ベッカーとともに
惑星グリッド・システムを研究した
ウォルデン大学の
ベテ・ヘーゲンズ博士によれば、
次のようになる:

"...ほとんどの牛追い人は、
牡牛座とシリウス座の間に位置する
オリオン座と何らかの形で結びついている。"

...古代では、
牛追い人として広く知られていた。
実際、おおいぬ座のミルザムは
「咆哮者」として知られ、
シリウスが東に昇るのを数分前に知らせていた。
雄牛の鍬形は、
人間の心臓を切り取るのに使われた
アステカの火打ち石の
ナイフのような形をしている。
木製の稲妻のフレームは、
現代の折り畳み式の帽子掛けから
ペグを抜いたような形をしている。

ネイティブ・アーティストが描いたホピ族のカチナ(1904年)

CiwikoUは赤く染めた馬の毛で作られた
キルトを身に着け、
バン・ドーラーを身につけている。
右手には鞭打ち器または
牛追い棒を持っている。
首にはキツネの皮が巻かれている。

砂漠のどこかからスタートし、
メサの頂上で終わるフットレースも行われる。

勝者には、トウモロコシ畑に
水を供給するための
象徴的なひょうたんが与えられる。

アパッチ族のキャンペーンで
ジョージ・クルック将軍の側近を務めた
ジョン・G・バーク(John G. Bourke)は、
1881年8月に「モーキス」(ホピ族)の
スネークダンスを研究した。

彼は、メキシコにある
120段のピラミッドの頂上まで走った
4人のアステカの競技者と
この競歩を並行して描いている。

「アステカ族は北方起源を主張している。
彼らの "テオカリス "や神殿
(すなわち切り詰められたピラミッド)
の形は、
彼らの祖先が石段で昇る断崖絶壁に
住んでいた時代を記念している
可能性はないだろうか?」

古代ホピ族の村ウォルピ。( パブリック・ドメイン )
蛇の日

最終日には、儀式のクライマックスが
村の広場で公開される。
生きたワタノキの枝で
小さな円形の東屋を作り、
爬虫類を「囲う」。  
このキシ(文字通り「日陰」)は、
バッファローの皮かキャンバスで包まれ、
小さなティピのように見える。

キシの前には、シパプ(sipapu)または
シパプニ(sípàapuni)と呼ばれる
浅い穴の上に板が置かれる。

この板は、踊り手が足で踏み鳴らす
太鼓の役割を果たす。
春から初夏にかけて広場で行われる
ティーナの踊りとは異なり、
この晩夏の儀式では、
色鮮やかでさまざまな形の仮面がない。

踊り手の長い髪はルーズにまとめられ、
頭頂部には赤い羽根が一房付いている。

顔の上部はチャコールブラック、
顎と首はカオリンホワイト、
胸、腕、下肢は酸化鉄で赤く塗られている。

亀の甲羅のガラガラを右膝の裏の下、
ふくらはぎに当てて結ぶ。
茶褐色の綿のキルトには、
白で輪郭を描いた黒蛇が
水平にジグザグに描かれている。

下部のフリンジには
小さな錫のコーンやアンテロープの蹄が
あしらわれることもある。

右の腰からは赤い帯が垂れ下がり、
貝殻を縫い付けたバンドリエが
右肩から左の腰まで伸びている。

また、貝殻のネックレス、
ターコイズのペンダント、
ナバホ・シルバーのアクセサリーで飾られる。

足首にフリンジのついた
バックスキンのモカシンを履いている。

「ホピの蛇踊り」(1907年)

C・W・ウォートン・ジェイムズ

アンテロープの踊り手は、
スネーク・ダンスそのものに
積極的に参加するわけではなく、
広場に一列に並びながら、
アンテロープの陰嚢で作ったガラガラを振り、
右ふくらはぎに亀の甲羅のガラガラを振って
見学するだけである。

彼らは前腕と下腿を灰灰色に塗り、
白いジグザグの稲妻線が
腕と脚だけでなく胸にも縦に伸びている。
口角から両耳にかけても白い線が入り、
あごは黒く塗られている。

前日には、
ヘビではなくトウモロコシの茎や豆、
カボチャのツルを口にくわえて踊り、
農業の役割を強調した。

アンテロープの踊り手の一人は、
綿毛の葉でできた鉢巻きをし、
メディスン・ボウルとアスペルギラム
(羽根つきスプリンクラー)を持っている。

前列、フットドラムの近くにいる
ヘビの踊り手たち(オライビ、1898年)、
次の列のアンテロープの踊り手たち。
背景はキシ。(作者提供)

スネーク・ダンサーの列は、
"キャリア"、"ハガー"、"ギャザラー "の
トリオに分かれている。
担ぎ手はもちろんスネークを操り、
ハガーは担ぎ手の左肩に
左手を添えてすぐ後ろをついていく。
ハガーの仕事は、
常に鷲の羽でキャリアの蛇の
気をそらすことである。
担ぎ手が広場を一周したら、拾い手が蛇を拾う。

それぞれの担ぎ手が一周した後、
直径20フィート(6.09メートル)ほどの
コーンミールの円に
6本の放射状の線が引かれる。

ヘビは真ん中に盛られ、
その上に女性たちが織物の上に盛った
コーンミールをかける。
蛇は最後に集められ、
降水と農作物の豊穣を祈りながら、
蛇が発見された4つの方角に運び出される。

蛇の踊り子たちは、
メサの端に吐き出させる吐剤を摂取して
儀式を終える。

その後、大宴会が催され、
雨乞いと農作物拡大の儀式が成功したことを祝う。

ダンサーと「ハンドラー」に続く「ハガー」、オライビ、1896年。(著者提供)

スネーク・ソサエティは、
これらの爬虫類は親類であり、
実は自分たちの兄であると信じている。

19世紀末の民族誌学者で考古学者の
ジェシー・ウォルター・フュークスは、
スネーク・ソサエティ(または友愛会)は
スネーク・クランの歴史的起源と
関係があると主張している。

"...適切な時期が来ると、
スネーク友愛会に入門した
スネーク一族の男たち、
そしてこれらの祈り、歌、
フェティッシュが伝えられた子孫たちが集まり、
彼らの仕事が祖先のものに似ているように、
そしてその結果より
効果的であるようにするために、
スネーク友愛会に入門した
スネーク一族の男たちが集まる、
そして踊りの終わりに、
より崇高な神々に祈りを捧げるために、
爬虫類の声を聞きながら祈りを捧げる。'

つまり、蛇族が好んで住む、
とうもろこしが豊富で雨がよく降るという
伝統的な条件を可能な限り
模倣しようとするのである。

大蛇の崇拝はその一部ではなく、
ティヨが訪れた世界で
神秘の世界に入門したときに
行われていたという伝説にあるような、
蛇族の崇拝を復活させただけの踊りなのだ。

これらの歴史的写真は、
隔年8月に開催されるホピのヘビと
アンテロープの儀式を示している。(著者提供)

ホピの伝説によると、
文化的英雄ティヨ(「青年」)は、
古代に太平洋に浮かぶ蛇族の島へ旅し、
自分の民族のための蛇の儀式と、
花嫁となる蛇の乙女を授かったという。

このように、ホピの蛇の知恵の源は、
本質的に大洋を越えたところにあった。