ケルトの秋分の日はメイボンとも呼ばれる二度目の収穫祭でした

https://celticearthspirit.co.uk/folklore-mythology-culture/celebrating-the-seasons/autumn-equinox/

秋分の日はこうも呼ばれる:アルバン・エルフェッド
(Alban Elfed:ウェールズ語)、メイボン(mabon)
、ハーベストとも呼ばれる。

北半球では9月21日から23日の間に行われる。
南半球の場合は、
この情報を逆にする必要がある。

秋分の日とは?

秋分の日は、明暗が等しくなる日である。
太陽が赤道を越えて南半球に戻る日です。
太陽が赤道を通過する間、
世界のすべての地域で
昼と夜の長さがほぼ同じになります。

春分秋分という言葉は、ラテン語の接頭辞 "aequus"("equal")と "nox"("night")に由来する。

equalは、この日の日照時間と日没時間がほぼ等しく、それぞれ約12時間であることを意味する。

その後、南半球は夏時間に入り、
日が長くなる。
北半球は冬に入り、日が短くなる。

この日以降、
太陽は暗闇を照らすことはない。
太陽は、1年の明るい半分と
暗い半分の間の入り口である。
夜が深まり、空気は独特の
「ピリピリ感」を帯びてくる。

この時期は収穫の時期でもあり、
ごちそうを食べる時期でもあり、
お祝いの時期でもある。

秋分の日の月

満月の名前は通常、その時期によって異なる。
秋分の日に最も近い満月は
「収穫の月」と呼ばれる。
平均して、月の出は毎日50分遅くなる。
太陽が沈むと同時に満月が昇るのだ。
しかし、ハーベストムーン前後の北半球では、
1日ごとの月の出の時刻の差は
これよりもずっと短く、
イギリスでは10~15分程度である。
同じ時間帯に連続して月の出があるため、
満月がいくつも
連続しているように感じられる。

歴史的には、
収穫時の日没直後に満月が起こると、
農家は夕方まで作業を続けることができた。
このような月明かりが何日も続くと、
自然が収穫に
手を差し伸べているように感じられる。
これが、中秋の名月を特別なものにしている。

秋分の日のエネルギー

秋分の日を取り巻くエネルギーは、
冬の季節への移行に集中している。
これは、地球自身を含め、
すべてのもの、すべての人が
対応しなければならないものです。

秋分の日から、物事は急速に動き始める。
変化が進行しているのだ。
自然界では葉が色づき、木々から落ち始める。
樹木や植物の樹液は上昇を止め、
根に戻り始めている。

果実やナッツ、ベリー類は急速に熟し、
収穫が必要になる。

このように大地へと引き下がることは、
内なる世界へ入って集中する時期が
刻一刻と近づいていることを告げている。
収穫物はすべて集められ、
冬に備えて安全に保管されている。
私たちは「文字通りの物理的な」
意味だけでなく、心理的
形而上学的な意味でも話しているのだ。

一年を通して終わりのない変化のサイクルは、
常に自分自身を探求し、
理解する機会をもたらしてくれる。
収穫の時期は、
この作業を始める絶好の機会だ。
成長が始まった春以来、
私たちが受け取ったもの、
達成したものすべてに感謝し、
振り返ることができる。
それぞれのお祝いの席で、
私たちはこの転機のエネルギーを
歓迎することができる。

バランス

この時期は、内なるスピリチュアルな
自己に戻る旅を準備し、
内なる世界と外なる世界の
バランスを取り戻そうとする時期である。
この時期は、相反するもののバランスを取り、
調和させる時期である。
物質主義とスピリチュアリティ
目に見えるものと見えないもの、
既知のものと未知のもの、
死と再生はすべて、
私たちの内側と外側の旅の
バランスをとるために不可欠なものです。
私たちは内なる世界の源を見つけることができる。

一年の「暗い半分」は、
自然が冬眠する時期であるだけでなく、
私たちが長期的な計画と
孵化に投資する時期でもある。
木々や植物は、この時期に新芽を伸ばし、
春に来年の植物として姿を現す。
今、私たちが植えたアイデアも、
私たちの無意識の内なる世界での
時間によって変容し、進化し、強化され、
開発の準備が整った状態で現れる。
今こそ、新しい夢を見る時なのだ。

ドラゴンと秋分の日(アルバン・エルフェッド)

昔のイングランドウェールズ
そして世界中の他の文化では、
1年のうち2回の春分秋分の日は
ドラゴンの日として知られ、
これらの素晴らしい生き物は、縁日や行列、
そして一般的な陽気で祝われていた。

ドラゴンは、
(あるいはドラゴンをかたどったものが)
街を練り歩いた。  
ドラゴンは火のエネルギーを内界に運び、
秋分の日に内なる火を活性化させるのだ。

龍は秋分の日に冬の間地中に潜り、
春分の日に再び姿を現すと言われている。
龍は古代のエネルギーシンボルで、
地球のエネルギー、ダイナミズム、
火、意志、勇気を表している!
このエネルギーは、私たちが
内なる暗いスピリチュアルな領域へと
旅立つときに、持って行くものなのです。

秋分の日の民間伝承の風習と伝統

私たちの農村共同体の核となる信念は、
ほとんど変わっていない。
おそらく狩猟・漁撈・採集の時代から、
そして農耕を始めてからもそうだろう。
私たちの伝統的な農村社会は、
いまだにアニミズム的な傾向があり、
すべての生きとし生けるものには精霊が宿り、
その精霊は「崇敬」されなければ
ならないと信じている。

そのため、従うべき正しい手順があり、
使うべき正しい言葉があり、
病が降りかからないように
守るべき儀式がある。
こうして、幸運が確実にやってくるのだ。
また、これからやってくる暗い冬の間、
自分自身と家庭を守る方法でもある。
収穫の時期にまつわる素晴らしい
(時には奇妙な)習慣や
慣習があるのも不思議ではない。

最後の一枝

穀物(小麦、大麦、オート麦)を手刈り
(手持ちの鎌や鎌)して収穫する場合、
労働者のグループは
畑の周囲で計画的に作業を行った。
外側の端から中央に向かって作業し、
作物を刈り取って束(小さな束)にし、
それを「薪」
(薪の束を端に束ねたもの)に立てる。
作物が刈り取られると、
「作物の魂」が残りの部分に
移動すると信じられていた。
畑の真ん中に到達する頃には、
作物全体の魂が最後に残った一束に宿っていた。

作物の精霊を守るためには、
この残った一枝を細心の注意を払って
刈り取ることが極めて重要であった。
「選ばれた」人が目隠しをされ、
刈り取りが成功するまで
鎌を「投げつける」のだ。
その後、「首を泣かせる」
最後の一束は、
トウモロコシの人形に編み込んで保存される。

首を泣かす

1934年の "THE STORY OF CORNWALL "で、
A.K.ハミルトン・ジェンキンは
古いコーンウォールの収穫期について書いている:

「当時、刈り入れはすべて
鉤か鎌で行わなければならなかった。
その結果、収穫はしばしば何週間も続いた。
最後の一握りの立っている
トウモロコシを刈り取るときが来ると、
刈り入れ人の一人がその束を
頭上高く持ち上げ、大声でこう叫んだ!

"やったぞ!やったぞ!やったぞ!"
そして残りの者はこう叫ぶのだ。
何があるんだ?と叫び、
「首だ!首だ!  首だ! 首だ!」
そして、誰もが一緒になって「万歳」と叫ぶ!
「首万歳!  首万歳!首万歳!」
(農夫を名前で呼ぶ)

この後、首は編まれ、花で飾られ、
農家の台所に運ばれた。
翌年の新しい首ができるまで、
首はここで大切に保管された。
この儀式も、おそらく遠い昔、成長の神、
つまり「収穫の精霊」が
立っているトウモロコシに宿ると
考えられていたことに由来している。

「首刈りの晩、農夫はしばしば
労働者たちに夕食をふるまった。
その後の数週間、トウモロコシは
農家に隣接する畝に運ばれ、積み上げられた。
この時期はいつも不安なもので、
天候が不安定であれば、
誰もが手を貸す用意ができていた。

貴重なとうもろこしがすべて収穫されると、
ついに収穫の晩餐が始まった。
最初の料理はジャガイモと焼いた豚肉、
あるいは牛肉と羊肉で、
12ガロンか14ガロンも入る大きな樽に盛られた。
これにプラムやライスのプリン、
リンゴの団子が続き、
大きなボウルに入ったクリームが添えられた。
パンとバター、チーズ、重いケーキも
「隙間を埋める」ために用意され、
全体をスピリッツ、サイダー、ビール、
または(最近では)濃い紅茶で洗った。
夜は歌、踊り、ゲームで締めくくられ、
夜遅くまで続いた。

トウモロコシ人形

とうもろこしの人形は、
収穫された作物全体の魂を宿し、
冬の間、家(または納屋)を守るために
屋内に持ち込まれる。
翌年の春、トウモロコシの人形は
土に鋤き込まれ、その魂が
次の年の作物に成長を教える。

ニューエイジ
ネオ・ペイガニズムの信奉者たちは、
ランマスでコーン・ドリーを編むのが
伝統的だと信じてきた。
これは基本的に不可能なことだ。
ランマスは収穫の始まりに行われ、
トウモロコシの人形は
最後に刈り取られる束から織られる。
ランマスに
トウモロコシ/小麦/大麦の畑を見てみよう。

作物はどんな状態だろうか?
天候に恵まれていれば、
農家は収穫を始めているかもしれない。
農家がまだ刈り始めてもいないのに、
どうやって最後の一束から
何かを織ることができるのか?

〈補足〉コーン・ドリー

どのような農耕文化においても、
作物の成功は何よりも重要であり、
北欧では収穫物は冬の間生き延びるために
不可欠でした。

収穫の精霊(この場合は多用途の穀物)が
植物の中に宿っており、
植物が伐採されるとその精霊は
事実上居場所を失ってしまうというのが
一般的な考えだった。

この精神に新たな住処を提供するために、
農民たちは作物の最後の茎から
トウモロコシの人形を作りました。
この人形は冬の間屋内で過ごし、
新しい季節の始まりに再び
地面に戻されるのを待ちました。
トウモロコシ人形の習慣が
確立されていない場所では、 
トウモロコシの最後の数本の茎が
激しく地面に叩きつけられ、
霊が地球に戻されました。 

この人形は、豊穣の女神の老婆の
側面を表す老婦人の形に作られました。
彼女は、神々へのさらなるなだめとして、
また、これからの収穫に
十分な雨が降るようにするために、
水に浸されました。
地域ごとに異なるスタイルの
コーン・ドリーがありました。